チェロを弾いていると、ときどき「いま、何が起きているんだろう」と思う瞬間があります。音は消えていくはずなのに、空気の密度だけが、ほんの少し変わったように感じられるとき。それは、演奏がうまくいったとか、感情を揺さぶったとか、そういう評価の話とは少し違います。ただ、場に変化が生まれた、そんな感覚に近いものです。
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今回、箪笥町(神楽坂)の高齢者施設で「音と香り」をテーマにした、小さな場をひらくことにしました。私のクラスで、大人になってからチェロを始めた生徒さんグループ「チェロまみれ」の皆さんによる、チェロアンサンブルの演奏。そして、私自身のソロ演奏。チェロを実際にさわり、音を出してみる楽器体験の時間も設けています。さらに今回は、音と香りを体験したあとに、そのとき自分の内側で起きた反応を、色として葉書に残すという試みを行います。言葉にまとめる必要はありません。上手に表現する必要もありません。ただ、反応したという事実を、目に見える形でそっと残すだけです。
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音楽と香りを組み合わせたイベントと聞くと、「癒し」や「リラックス」を想像されるかもしれません。けれど、この二つの世界を扱うとき、私が一貫して意識していることがあります。それは、感情を動かそうとしないこと、気づかせようとしないこと。芸術とよばれるものは「何かを起こすための道具」ではありません。とくに演奏家は、作曲家が魂から生み出した作品(楽譜)を音にする媒介者ですから、本来は鑑賞してくださる方へ、作曲家の思いを届け、時を越えた心の橋渡しをするのが役目です。「すでに自身の中で起きている感情に、みずから触れる」そんな時間となるように努めることを、なにより大切にしたいと考えています。
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音楽も香りも、目に見えません。それでも、人の内側には、驚くほどはっきりと何かが残ります。好き・嫌い、落ち着く・落ち着かない、懐かしい・知らない。こうした判断は、考えるよりずっと早く、身体の側で起きています。今回の場では、その早さを追いかけたり、説明したりはしません。音と香りが重なったとき、自分の中で何が起きているのかを、少し距離を取って確かめる。そのための時間をご用意しています。
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私は演奏家であり、人に何かを教える仕事もしています。けれど最近は、「上手くなる」「理解する」以前に、場の質が、人の反応を大きく左右していると感じることが増えました。音がどう届くか。言葉がどこに落ちるか。その前提として、空気がどのようにつくられているか。その設計に、強い関心を持っています。
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今回の試みは、完成形ではありません。正解を示す場でも、評価を集める場でもありません。音楽と香りを使って何かを与えるのではなく、その人がすでに持っている感覚を、静かに確認できる余白をつくる。そんな時間になればと思っています。
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この場で、参加された方に持ち帰っていただきたいのは、・音を評価せずに聴いた時間、・香りに反応した、自分自身の感覚、・それを色として残した、一枚の葉書。それだけです。上手に感じる必要も、言葉にまとめる必要もありません。「私は、こう反応したんだな」その事実が、あとから、ふと効いてくるかもしれません。
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もし最近、気持ちを言葉にすることに、少し疲れている、音楽を聞いても、どこか遠く感じる、自分の感情が、つかみづらくなっている気がする―そんな感覚があれば、この場は、ちょうどよい距離にあるかもしれません。
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このエッセイはnoteに投稿したものです。チェロや音楽、香りにまつわる読み物を、noteのジャーナルでも随時更新しています。よろしければこちらもご覧ください。 → note(小林奈那子)